私の故郷紹介−ラーメン・唐揚げ・旧耶馬渓線・耶馬美人・競馬場の町−
| 私の故郷、大分県中津市の公式HPなどでは紹介しない中津市の紹介をします。いわば、庶民の視点からの紹介です。 大分県北部の小都市中津市は、福沢諭吉で有名ですが、日常生活上では、「唐揚、ラーメンの店」が多いので有名です。帰省した時には、まずラーメンと唐揚げを食べることで、帰省を実感できるほどです。(私だけ?) 有名なラーメン店(下の写真)と唐揚げのお店(いろいろな屋号の店が独自の味付けで味を競っています。しかも、すべてテイクアウトの店です)の写真を載せます。「昼にラーメン、夜は唐揚げ」が帰省しての私の食事の定番です。ラーメンも唐揚げも少なくとも1955年頃?から営業しています。何せ、病人のお見舞いに唐揚げを持っていくくらいです。「鳥天」を変化させた「唐揚げ」の発祥の地と言う人も多いです。以前、国道筋にあの「ケンタッキー」が開店したそうですが、すぐに撤収したそうです。それほど、唐揚げは、中津市民に定着しているのです。最近、中津市のHPに唐揚げマップがアップされています。 |
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中津名物「鳥の唐揚げ」店の一つ。 中津で最初に唐揚げを始めたのが 「細川」(今は、スーパーに変身)と、 この「もり山」さんだといわれてい ます。もり山の特徴は、自家栽培の ニンニクを大量に使った味です。 もちろんテイクアウトの店です。 町は、ケンタッキーが入る前から 「ケンタッキー化」されていたのです。 |
| 中津市で最も有名なラーメン店の「宝来軒」。市内あちこちに支店があります。写真は、焼豚ラーメン(ここでは550円)です。味は、豚骨醤油味です。久留米ラーメンに近い感じですが、創業が独自に開発した味と言われています。屋号を許されるのは、元祖「宝来軒」の親族だけです。 | 実家から車で10分の「金色温泉」は、 多くの露天風呂を持つ循環湯の 代表格。男女それぞれ6つ あります。600円です。 |
昔、中津と山国町守実温泉を結ぶ私鉄耶馬渓線が私の故郷には走っていました。
実家の前には、「八幡町」駅があり、乗降客でごった返していました。この線路が今も
残っていれば、どこにも負けない観光資源となって、地域振興がなされていただろうと
残念でなりません。
耶馬渓線は、明治45年から昭和50年まで路線を縮小しながら命脈を保っていました。
廃線の理由は、モータリゼーションによる赤字です。赤字の理由で廃止された「中津競馬」
と同じです。しかし、鉄道も競馬も文化です。共に廃止されたのは残念でなりません。
![]() 実家近くに立つ古城駅跡記念碑 |
![]() 古城駅から中津方面を望む。 今は、サイクリングロードになっています。 |
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| ↑こんな汽車が走っていました。 | ↓古城駅記念碑の裏 「昭和50年廃止」とある | |
![]() 懐かしすぎる蒸気機関車。 次第にディーゼル機関車に変わり ました。これらの汽車・客車は、 実家近くの「汽車ぽっぽ食堂」に 展示されています。 |
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沿線は、車窓から山国川渓谷、「青の洞門」(左)やオランダ橋(右)がパノラマのように
一望できる絶好の路線だったのです。
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| 「耶馬美人」の蔵元は、名前から耶馬渓の焼酎メーカーのように思われますが、実は、中津駅 近くの中殿町にある小さな酒造メーカーです。無名時代から扱っていた耶馬渓方面の酒屋さん には常に卸されているようで、逆に中津市内で耶馬美人を扱っているお店は、私の知る限り 2店くらいで、しかも、入荷即完売なので、市民であっても、入手困難となっています。 耶馬渓方面の小さな酒屋さんでは、20度1升瓶で3500円前後、25度ですと5000円前後で 販売されています。私は、20度しか飲んだことがありません。20度の割に、日本酒のような 米のまろやかな味が最高です。確かにおいしいです。中津のお土産用に25度4合ほどの化粧瓶 が確か4000円位します。実にばかげた値段です。
耶馬渓では「耶馬美人」名で、中津では「旭菊」の名前で売られていたように思います。 麦焼酎は、「三拍子」の名前だったと思います。ところが、麦焼酎もいつの間にか 「耶馬美人」で売られています。私の家(大阪)の近くの酒屋で、麦焼酎が、なんと税込みで 7000円くらいで販売されていました。庶民の酒であるはずの焼酎がこの値段とは怒りも 覚えます。しかし、確かにうまいです。 |
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嘗て「公営競馬場」があった町
嘗て、「中津競馬場」が我が故郷にはありました。一時は、市の財政を潤してきましたが、
ご多分にもれず「赤字」を理由に廃止されてしまいました。
私の通った小学校から競馬場で馬が走る姿が直近で見ることができました。
小学校の周りには、多くの厩舎がありました。騎手になった友人や調教師になった
友人もいました。そんな「素晴らしい環境」で勉強にいそしみました。
自宅から1キロにも満たない所にあっただけに、帰省に度に通ったものです。
一度なくなると、二度と復活できない優れた文化遺産を二つ(耶馬渓線と競馬)も
失った町が、我が故郷中津市です。(残念!)
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左は、今も残る入り口側の トイレです。木の右横に、 パドックがありました。 右は、旧メインスタンドから みる馬場です。ダートは、 固まっていました。 土地の所有者は薦神社。 |
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柵より右が駐車場です。 柵より左が旧スタンドのあ った所です。 |
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左は、厩舎関係者の住む 団地入り口です。 中をのぞきましたが、嘗て 存在した住まいは完全に 「整理」されていました。 |
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左は、中津競馬場で死ん だり、へい死になった競走 馬の墓です。厩舎施設内に あります。 中津競馬場の殆どの敷地 は、薦神社の所有地でした。 薦神社は、三角(御澄)池 そのものをご神体とする珍 しい神社です。 |
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上は、薦神社の門(重要 文化財)です。 |