三線(サンシン)論

(1)三線の由来

 中国の唐三線(三弦)が琉球に伝わり、三線となり、それが戦国時代に日本に伝わり三味線となったと言われています。
 琉球の書物の中に、1372年 琉球王国の明への招諭(朝貢)があり、「1500年前後の尚真王の治世に権力者に渡り 、歌の伴奏楽器として発展」とあるように、少なくとも14世紀には沖縄に入っていると思われます。
 
 日本への三線の流入については、「糸竹初心集」(1664年中村宗三)という書物に「永禄年間(1558年〜1569年)に石村検校なる琵琶法師が琉球で見つけ、京都で改良し、弟子の虎沢検校に、虎沢は山野井検校に伝授して広まる」の記述があります。それ以前に、「御湯殿上日記」の天正8年(1580年)の条に「河原の者山しろといふ、しやみせんひかせらるる」という記述もあります。雑芸能で生計を立てていた「河原者」や琵琶法師は三線をすでにひいていたことになります。
 私は、「三味線が三線になった」という俗説を主張する人(邦楽三味線至上主義者?)に出会ったことが何回かありますが、全く根拠がないと言わざるを得ません。

(2)「蛇皮線」は正しいか
?否である。
 かって、日本史の教科書の織豊政権時代の桃山文化の中に「蛇皮線を伴奏に高三隆達が隆達節を始めた。」という記述があったことを記憶しています。【私(管理者)も、そのこともあって長い間、「蛇皮線」が正しい呼称と思っていました。ちなみに、現在の山川日本史教科書では「琉球から渡来した三味線を伴奏楽器にして云々」と比較的正しい記述を行っています。】「蛇」というので、沖縄の「ハブ」を連想し、三線の皮に使っている「ニシキヘビ」をハブと勘違いする人が多くいます。(本当に多いです。小さいハブの皮でどうしてサンシンの胴を囲むことができるでしょうか?)
 
 三線が日本に渡った時代、東南アジアのニシキヘビの皮は非常に高価で、本土では簡単に手に入る代物ではありませんでした。三線の音色に魅せられた「河原者」や貧乏僧侶は当時高価なニシキヘビを手に入れることができなかったので、身近な動物の皮を試していく中でもっとも良い音が出て、かつ手に入りやすい(どこにでもいる)「ネコ」の皮を使い三味線を作ったと考えるのが自然でしょう。
 三線を「蛇皮線」を呼ぶならば、本土の三味線は「猫皮線」と呼ばれなければならないはずです。三線を「蛇皮線」と勘違いする方が、三味線や津軽三味線が「猫や犬皮」を使用していることをご存じない人が少なくないのは決して偶然ではないと思います。

(3)三線は三線以外の何物でもない。

 私の知る限り、沖縄での呼び方は「さんしん」か「三味線」だと思います。少なくとも、三線店の名前に「○○蛇皮線店」と名付けている所は少なくとも見たことがありません。しかし、沖縄旅行の際に、土産物屋の売り子さんが(本土の人にわかりやすいからだと思いますが)「蛇皮線」と言って売り込んでいることに結構出会うことがあります。それで、ますます「蛇皮線」が定着してしまうことになってしまいます。

 私はヤマトンチュですが、私たちヤマトンチュの「誤解」(それには悪意は全くないものがほとんどでしょうが)を助長することは好ましくないと思います。
 ウチナンチュの中にも「(蛇皮線)こだわる必要はない」という意見も聞いたことがありますが、津軽三味線を「犬皮線」と呼ぶ人はいないのだから、呼称は正確にしてほしいと思います。三線を愛するものが、まず三線定着を率先したいものです。幸い、近年「さんしん」の呼称が定着してきていることはうれしい限りです。
 
 

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